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障がい者支援に対する考え方とその変化

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みなさん、お疲れ様です。

最近薄毛対策に余念がないコグメロです。(笑)

この記事では、僕が障がい福祉の現場でのこの7年間で培った支援についての個人的な考えとその変化についてご紹介したいと思います。

参考になれば幸いです。

※このブログでは障がい者施設・事業所を利用している方を対象とし、その方々を「利用者」と呼んでいます。
また、「様」、「さん」などの敬称を省いています。

目次

個性と支援

これまで100人を超える利用者と関わってきました。

それぞれ個性があり、その支援も千差万別です。

現状例えば自閉症について、その特徴や傾向は証明されてはいても、個人レベルでの支援については一括りにはできない複雑さがあります。

特に利用者と密接に関わる現場では、研修などで教わるアスペルガー症候群や強度行動障害がどんな障がいであるかはさして重要でなく、日常生活の1日1日の細々とした個々の支援が優先されるものです。

障がい者と高齢者

壁にスプレーされた「one」の文字

例えば障がい者と高齢者を比較するとすれば、

障がい者施設・事業所の利用者の多くは基本的に歩いたり走ったり、無外したり他害したり、病気でもなく老衰でもなく、
元気な方が多いですよね。

一方、高齢者施設を利用している高齢者は、一般化するならば老化に伴う身体の低下を介助やサポートで補う必要がある方です。

もう少し踏み込めば、現場の介護職員は、高齢者に対しては身体・認知機能の低下や衰弱に対する予防あるいは現状維持の為の、砕いて言い換えればマイナスをゼロに戻す作業が主になると思います。

もちろん障がい者施設・事業所の利用者でも、先天的・後天的疾患や障がい特性によって優先して機能訓練や医療ケアが必要な方々もいらっしゃいますが、少数であると思います。

では障がい者施設・事業所の現場で働く支援員の仕事の本質は…、

ゼロからイチへの支援。

そして、イチから無限大です。

日常生活のノーマライズの為の支援を越え、可能性は無限大であると思うのです。

諦めと停滞

とは言っても実際の現場で前向きで野心的意欲的な支援を行い、継続させることは困難です。

支援員だけが突っ走り、保護者や本人を置いてけぼりにすることも多々あります。

また、支援員一人だけで継続させることも困難です。

支援員一人に利用者一人、の多くの時間を割くことができるでしょうか?

僕が支援計画に携わるようになった初めの頃、その計画はどれも意欲的で前向きなものでした。

利用者の為とはいえ、限られた業務時間で、自分の業務で手一杯の中、新たな、前任担当支援員の計画にはなかった支援を組み込むことは困難でした。

ともすればその支援は消極的に、やがて段々とやらなくなるのです。

意欲も薄れ、諦め、なんてことないありふれた、ありきたりの、ナアナアの支援。

個別支援計画書はサビ管や保護者に捺印してもらうだけの書類、みたいな。

そして自分が働く1日がどうか何事もなく済まされますように、と願うのです。

利用者が不穏になりませんように、怪我をしないように、熱発しないように、無断外出しないように、他害しないようにと。

何も利用者の安定を願うことは悪いことではないのかもしれません。

利用者本人や保護者は何一つ波立たない平穏な一日を望んでいるのかもしれません。

が、ふと利用者や支援業務を見つめれば、如何せん消極的安定。停滞ではないかと頭をよぎるのです。

成長と社会的自立

一般的に、知的障がいを持つ方は成長が遅いとされています。

僕らが計画する支援も長期的に継続させる必要があります。

ただ、ふと、ある日突然計画が実ることもまた事実です。

あれだけ試行錯誤した計画と支援が何かのきっかけで利用者が変わる。

「こだわり」「習慣」だと思っていたものがあっさりと変わるのです。(または他のこだわりに成り変わる。)

確かに逆に僕らの何かのきっかけで一般社会では受け入れ難いような、利用者本人や保護者が望まない悪い方向へ導いてしまう危険性もありますが…。

それは担当支援員が変わったからかもしれないし、何気ない一言であったかもしれません。

だからこそ僕は試すことに価値を見出すのです。


利用者の、例えば社会に一人投げ出された利用者の「習慣」や「こだわり」がその社会に馴染み受け入れられるかどうか。

本当に利用者の社会的自立が建前の目標で無いのならば、社会の歩み寄りだけでは時間が足りないと思うのです。

個別支援計画とエゴ

「自我を抑える」ステッカー

障がい者支援には個別支援計画というものがあり、正規職員であれば実際に担当する利用者に対して計画することもあります。

そこには支援の狙いや長期目標、短期目標などで括られ、事業者が適切公正に利用者に支援を施していること、利用者本人またはその保護者の要望を鑑みながら利用者のより良い生活を提供し、支援するものであることを示すものです。

ただ利用者や保護者が望むのは決して「より良い生活」だけではありません。

安定した、静かな生活なのかもしれません。

今のまま、別の誰かに迷惑を掛けることなく、苦しみ悩むことなく…

新たな、本人が苦しむことになるような支援計画は望んでいないのかもしれないのです。

主役は僕ら支援員ではなく、利用者本人、保護者であり、僕らはそこに寄り添うだけなのかもしれません。

決して、前進させる支援が最良とも限らず、また、強要するものではないのです。

共有と連携

ネットワークを表す図

利用者と支援員が日々共に活動しながら、僕は一人では最良の支援を進めることは困難であることに気付きました。

いち労働者として休みが欲しいのは当然ですし、そうなれば利用者へ365日支援を施すことも無理な話です。

また、限られた業務時間に自分の担当利用者だけに関わっている訳ではないと思います。

せっかく時間を掛けて練られた支援計画が無駄にならないために、一人で抱え込まないことです。

支援計画をチーム内で共有し、支援業務を連携させることです。

実際、ある法人での入所施設での僕が作成した支援計画は直属の上長しか知らないものとなっていました。

僕もチームの他の職員の、他の利用者についての支援計画を目にすることはありませんでした。

それでは担当利用者の支援は僕だけの業務となるのでしょうか。

おそらく、管理者やサビ管、支援員らが集まる会議と言われるものの中で、議題として個々の利用者の支援計画の共有や支援の連携方法、もっと言えば支援の再考などの入る余地はないのかもしれません。

本来なされるべき、個別支援会議やモニタリング会議も十分にできない現状、

僕には同僚たちの作成した支援計画がまとめられた、誰も見ないファイルを眺めることぐらいしかできませんでした。

まとめ

ここまで僕が障がい者支援に携わる中で変化してきた支援についての考え方を紹介してきましたが、僕の支援への考え方は理想論に過ぎないのかもしれません。

利用者が楽しく健康で1日1日を過ごせればそれで良いのかもしれません。

ただ、法人や管理者、上長との間で軋轢を生みながら僕は悩み、それでも利用者支援に没頭して培ったこれらの考えは、少なくとも間違ったものとは思えません。

もう少し具体的に提案すれば、障がい者支援にとって重要なものは、

意思決定支援と支援計画の共有、現場支援の連携だと思います。

利用者本人の意思、ニーズは何より優先されるべき事項でありながら、現場の支援員にとっては何よりあやふやで頼りないものになっていることを知っているはずです。

本当に利用者の意思を引き出せているかどうか…。

また、本来的に支援は支援員一人で行うものではないのかもしれません。

利用者への継続した長期的支援を可能にさせるのは、保護者を巻き込んだ、その職場や部署、利用者を中心にしたチームの連携であると思います。

どんなに利用者を想って練られた支援計画も、忙殺される業務や労働環境に潰されては意味もないのです。

自分が休みの日でも他の同僚が僕の担当利用者へ継続して支援を行ってくれる。

その支援はただの日常生活を過ごす為の停滞した支援ではなく、前へ進む為の積極的支援。

それを可能にするのは無論法人、事業所の協力が必須です。

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