みなさんお疲れ様です。
障がい者支援では施設を利用する障がい者を叱らなければならない状況もあると思います。
叱るといえば怒ることと比較される昨今。
僕も障がい者支援に携わる中で利用者を叱ったり、また、怒ってしまった経験もありますが、怒るや叱ることについて考え、冷静にそこに至るまでの経緯を振り返ると見えてくるものがあります。
福祉や障がい者支援における怒ることと叱ることの意味を、経験を踏まえて改めて探っていきたいと思います。
怒ること
叱ると比較し今では一般的に誰かを育成したり指導したりする場合、怒ることは良くない、あるいは「愛があれば…」良しとされているのではないでしょうか。
とりあえず良し悪しは置いておきますが、
これまで障がい者施設で働き、支援に従事する中で同僚や上長に言われ、印象に残った言葉と支援はどんな意味を持つのか考えてみます。
怒ってもいい
これは利用者の理解を前提に、感情的に怒っても結果的には良い方向へ導けると期待することです。
つまりその場で感情的に怒ったとしてもその強い感情表現がゆくゆくは怒られた利用者の、怒られた事柄や理由についての理解へつながるはず、「分かってくれるはず」と期待することです。
ただ、目に見えない期待というものは常にあやふやで脆く見えます。
利用者の個々の理解力によっても対応は変わると思いますが、突発的な感情表現はただの一時的な支援員の発散に終わるかもしれないのです。
支援員によっては自分を責め後悔することもあるでしょう。
アンガーマネジメント等支援員のメンタルコントロールも重視されつつありますが、
僕の経験とその労働環境等を踏まえ想像するに、怒ってしまうことは致し方ないことと共感してしまう自分もいます。
支援員が支援員を想うとき、我慢することが精神衛生上良くないことと捉えての助言であったかもしれません。
他の職員がいるときに怒る
これは感情的な怒りが周囲の、特に職員がいることによって限度を超えない、ということを想定しています。
極端に言えば、第三者が側にいることで、意味のない暴力や虐待を防ぐことができるという想定です。
一方で他の社会状況の中で、特に上司と部下という関係性では、別室で二人きりになって、叱られる部下が恥をかかないよう、配慮して計画的に叱るということも推奨されているかもしれません。
…僕がある時先輩と個室で二人きりで支援について話し合い、パワハラと言われるような圧力を受けたことは置いておいて(笑)
職員同士ではそれは可能であり有効かもしれませんが、支援員と一般的に社会的弱者である利用者が二人きり、という状況はあまり好ましくないと思うのです。
ただ、第三者がそばにいるからといって感情的に怒っても良いという論理は先ほどの例と同様、職員の精神衛生に配慮してのことであり、支援というにはあまりに短絡過ぎると思います。
なめられないように
これはある種高圧的に、ときには恐怖を抱かせることで上下関係を築き、指示を通りやすくする方法です。
ここでいう「なめる」とは、誰かを下にみる、見下す、軽視する、という意味です。
僕は何度か今までの支援の現場で特に男性支援員の「なめられているからそうなるんだ」などという言葉を聞いたことがあります。
利用者が支援員を下に見ているために利用者へ指示が通らないという論理です。
逆を言えばなめられないことでしか支援が進まない、支援員が利用者より上にいるから指示が通るとも言い換えられます。
あたかもこちらが次の行動の権利を掌握しているようです。言うことを聞かなければ相手を威圧して怒れば良いと。
障がい者支援における特に生活支援員と利用者の関係は、親子、友人、先生と生徒、お客様と従業員などとたとえられるかもしれませんが、親子ほど近い距離感ではなく、お客様と従業員の関係と言えるほどには利用者の生活に近すぎる距離であると思います。
福祉の現場で行われる対人支援は絶妙な距離感で成り立っているのです。
例えば子育てにおいて、父親は怖い存在として子を厳しく叱るということがあるでしょう。
結果父親が怖くて、怒られたくないという感情が、子供が悪い方向へ外れるのを防いでいるのかもしれません。
怖い存在がいることで支援や指示が通りやすくなることは子育てにおいても障がい者支援でもあり得ることでありますが、その考え方は混同されてはいけないのです。
叱ること
ここでいう叱るとはその人のためを想って冷静に次のステップへ繋げるために指摘することです。
叱る時、叱る場所、叱る状況を考慮し、計画的、建設的に相手を諭すことはなかなかできるものではないと思います。
叱る相手との関係性、信頼関係の構築も重要でしょう。
育てるという意味ではさまざまな生活場面で子を叱ることが役割の親は慣れているかも知れません。
実際に障がい者支援においてきちんと叱ることができている支援員を見て、遠く及ばないと僕自身感じていたものです。
障がい者支援の現場では利用者本人の意思の尊重は優先すべきでありますが、日常生活の自立や社会参加などを考えると適切ではない行為は修正されるべきです。
ただ、学校の教師などとは異なり、叱るという支援が全ての職員に習得されているわけではありません。
もし虐待や支援の行き過ぎを防止するための一つの考え方が利用者の人権と意思の尊重にあるとするなら、叱り方も支援員にとって必須項目であるはずです。
まとめ
障がい者支援が利用者の自立を目的とするなら、ただただ利用者の要望に従うだけでは成り立ちません。
できること、できないことを伝え、時には叱ることも業務の一つであると思います。
かといって各法人、各労働環境の中で、皆さんが常に冷静で慎重に計画的に叱れず、思わず怒ってしまうこともあることは僕自身共感に値するだけでなく、未来の障がい者支援を憂慮するには十分な課題です。
親と子、上司と部下などとはまた異なる、特殊な支援員と利用者という関係性においては、怒ることと叱ることの違いと叱り方の学習も必要であると思うのです。